北京旅日記

8日の昼すぎに無事東京に帰ってきました!バイトが本格化したり風邪をこじらしたり、そして何より最後まで書ききってからIEが突然エラーで終了するというアクシデントにより、すっかり遅くなってしまいましたが、時間がとれたので感じたことを書いてみようと思います。
今回は北京のみの5泊6日の旅、いやーほんまに楽しかった!!九州旅行(この旅日記も後で書きます!)の興奮が覚めやらぬ中、新学期のこと・バイトのこと全部ぶっとばしていってきました。
中高からの友達との二人旅でしたが、この二人じゃなきゃ出会えない人に会い、この二人じゃなきゃ過ごせない時間を過ごせたなと思います。少しまとめて書きます。


【人】
旅において自分が一番楽しみにしているのは「出会い」。純粋な街の魅力も素晴らしいけど、やはり「あの街ではあいつらと会って話したよなー」っていう思い出が特に強く残っていると思う。
●Fannyちゃん(別名プートン)
ユース内にある旅行情報窓口にいた中国人の女の子。Fannyというかfunny、そしてかなりクレイジー。堪能な英語に意味不明な中国を挟み込み、「シェンマ」(「何?」を意味する中国語らしい)を連発。最初は異常な態度の悪さ(というか馴れ馴れしすぎw)にキレかけていたけど、話せば話すほど愛らしいピグモンに思えてきたのです。僕たち二人は相当気に入られたらしく、最終日の番は夜中まで喋り倒し別れ際にはすごくつらそうにしていました。僕たちの心にもすごく大きな思い出として残ったし、後述するある重大な事件でお世話にもなりました(状況説明を中国語で紙に書いてもらう)。

チェコカップ
「fast like Japanese」という言葉を教えてくれた、とても好奇心旺盛な彼氏。観光地にドーっとやってきて、カメラをとりまくり、さっさと出て行くという典型的日本人観光客の姿を皮肉った言葉であり、少なくともヨーロッパではかなり有名だとのこと。個人的には彼が日本人のだいだいの労働時間や長期のバカンスがないことを僕たちから聞いた時の、「自分にとって仕事は一番ではない、だから日本人みたいにはなれない」という反応。これは経済的により発展している国への妬み、開き直りに感じられるかもしれないが、彼は心の底から「仕事は人生における最上位を占めてはいない」と考えているのだと思う。
自分にとって「仕事」がどれほどの意味を持つようになるのか、それは正直わからない。そのことを内定式の後考えていたので、彼の言葉はすごく心に残った。あと、彼が弁護士の卵だったことも印象的だった。

●フランス人の奇行
夜遊びが大好きな欧米人(少なくともヨーロッパの人)だが、彼女はユースの同じ部屋で朝6時帰宅という生活を繰り返していた。さらにベッドに男まで連れ込み、下のベッドにいた友達は騒音と振動に悩まされ地獄だったそうな。欧米人はユースだろうがどこだろうが、「そんなの関係ねぇ!」なのかw二度目の奇行に及ぼうとしたとき、僕はちょうど起きたふりをして行為を中断させたのに、肝心の友達が爆睡していたのには笑った。


【僕的電影相机盗難事件〜こちら北京市円明園前派出所〜】
デジカメ、スられましたorz楽し過ぎてテンションが最高潮だったこと、屋台で注文したお好み焼きをなかなか渡してもらえず、注意散漫になっている時(飢え過ぎw)にいつのまにやらジャケットのポケットから抜かれてしまったらしい。前のデジカメを屋久島で壊してしまったためちょうど1週間前に買ったものだったが、盗難されたこと自体はそれほどつらくはなかった。それよりもむしろ、カードに付いている保険を使うために必要な「事故証明書」をとるのにかなり骨が折れ、さらに中国語が全く喋れないことにひよって友達を連れまわしてしまったことが情けなかった。
まず盗られた翌日に盗難証明を発行してもらおうと北京市内中心部の派出所にいったところ、「円明園(盗られた場所)の最寄の派出所じゃなきゃ発行できない」と言われ、さすがに円明園まで戻るのはだるいので公安局外国人処理事務所へ。しかしここでも「円明園派出所へいった後に来い」と言われ、しぶしぶ円明園へ。円明園の派出所に着いてから、友達の中国語&プートンが書いてくれたメモで何とか事件のあらましを理解してもらい、総動員で英語を喋れる人を探してくれたり、北京在住の日本人と電話をさせてくれたりと本当にお世話になった。とはいえ彼らは「この日本人二人組は突然現れてわけがわからんが、なんか困ってるみたいだし仕方がない、いっちょ助けてやるか!」といった感じで、派出所には馴染みの一般市民は尋ねてきておもしろ半分で僕が事情聴取を受けるのを眺めているし(この円明園派出所は一種の地域コミュニティーを形成しているようだった)、その時派出所はなぜか賑やかで楽しい雰囲気に包まれていたように思う。そしてその時間を不謹慎にも少し楽しんでいる自分がいた。
 派出所の人々と握手を交わして別れ、その地区の大きな公安局にいって正式な書類をもらって冒険は終了。10時くらいにこの冒険を始めたのに終わったときにはもう日はほとんど暮れていて、軽い疲労感と激しい空腹感があった。この後入った駅近くのレストランで食べた北京ダックのうまさとそこで料理を頼みすぎたこと、そして小島よしお似のいかついウェイターが意外にいいやつだったことがこのヘンテコな冒険をより思い出深いものにしてくれた。


【友達と雑感】 
物価や観光した場所、交通ルールの悪さなど書けることはたくさんあるが、「天安門広場の世界観はすごい、中国の社会主義的な側面、資本主義的経済発展のすさまじさの双方がそこにはあった」ということを強く思う。故宮万里の長城(いったのはメジャーな八達嶺ではなく、司馬台・金山嶺長城)など、北京だけでもこんなに楽しませてくれた中国。もっと他の街・地域も旅してみたいと思うと同時に、北京五輪前にOくんとここに来られたのは本当に貴重なことだ。
高校で一緒に勉強したり、酒を飲んでつぶれたり(俺だけ?w)、一緒にライブにいったり、いつも刺激を与えてくれたOくんだけど、今回の旅では彼と異国の地で英語を喋ったり、食べ歩きしながら懐かしい話をしたり、新しいものを一緒に見ることができた。新鮮さの中になんか懐かしさがある旅。彼がおどけて女の子をくどくところ、言葉でなかなか意思疎通ができない中国人のオッサン相手に「ごめん何言っとんかわからんわ〜」と日本語で謝る姿をみて、「やっぱすげえなぁ」と思ってしまう。この旅に最高のスパイスを加えてくれて本当にありがとう!

さて、ここまでつらつらと書いてきましたが、友達が上の駄文とは比べ物にならないほどうまく旅の1シーンを表現してくれているので、勝手に引用します↓


■ある歴史的建造物で出会った女性2人組は、3年間の兵役を終えたIsraelからの旅人たち。年齢は同じくらい。というか同じ。兵役を終えたIsrael人の若者は進学するまでの時間を使って、旅をする人が多いんだそうだ。 とっても爽やかでにこやかで明るくて陽気で、素敵な笑顔を見せる彼女たちはこんな話をしてくれた。

"ヘブライ語では、「こんにちは」は"shalom"というのよ。"
"そしてshalomは、英語にすると"peace"の意味もあるの。"

金髪で目が大きくて、素敵な女性Mayaは笑顔でこう続けた。

"私たち、いつもpeace! , peace!ってみんなで言ってるのに、なかなか国内にpeaceはやってこないのよね。"

俺は、笑っていいのかどうか分からなかった。

今もわからない。



この素敵な旅を作ってくれた全てに改めて感謝しつつ、今回の旅日記を終えることにします。