「これほどの努力を、他人(ひと)は運という」

Amazonで発見して、なんとなく魅かれて買った本を読みました。

著者は幻冬舎(1993年設立)の設立者で今も社長をしている見城徹さん。残念ながらこの本に出会うまで名前を知らなかったのですが、村上龍尾崎豊坂本龍一石原慎太郎らのと交流が深く、彼らのベストセラーが世に出るのに編集者として一役も二役もかった人です。

読んで思ったのは、この人は一般的な「編集者」という次元を遥かに超えているなということ。作家・芸能人たちの小説・音楽・生き方(彼が興味を持つ対象は「小説家」という枠にとらわれない)に強く感動し、あらゆる手段を尽くして彼らと知り合いになる。そして相手の心の中に一歩でも二歩でも踏み込んで格闘する。返り血を浴びたり関係が悪化することも厭わず、七転八倒しながら作品を生み出すように導いていく。

やっぱり彼らは書かざるを得ない、書かなければ救われない何かをもっているんですね。書かない限りは生きていけないという・・・金銭的なものじゃなくて、自分が成り立たないという病気のようなものを持ってるわけです。それはもうはっきりとわかる。そうしたものが、おれにはない。だったらおれはこいつらの触媒になって作品の手助けをしたいと思った。そのためには、文芸の編集者にならなければと、強く思っていました。

最近友達が「実務と学問」について書いていましたが、学問の世界にいくっていうのも天才はともかくとして凡人にはここでいう「救われない何か」が必要な気がします。そしてもし僕が事業を始めるときがくるのであれば、それはこの「何か」を感じたときだろうと思います。一方で、もし触媒としての道を天職と考えるのであれば、見城さんを超えたい思う。

自分が本当にアイデンティファイできるものとは、自分が死の直前に、その死を受け入れられるかどうか、その瞬間のためにあると思う。今、一時的にうまくいってることは、全てにおいて成功でも失敗でもない。死ぬ直前に『生きててよかった』と思えて、初めて成功したと言える。

編集者という職業に囚われない「仕事」というもの、さらにそれを超えた人間・生き方について考えさせられました。